補助人工心臓と子育てとリモートワーク

補助人工心臓を植え込みつつ子育てしつつリモートワークをしているエンジニアのメモ帳

新生児デッドロックーー私達は出かけることができない

新生児とは、生後4週間までの赤ちゃんのことだそうです。一般的にこの期間にお出かけはしないことが多く、新生児は1ヶ月検診ではじめて出かけることが多いそうです。

参考: www.babywearing.jp

補助人工心臓装置装着者と介護者、新生児という3人で生活していると、誰も出かけられない状態になります。私はこの状態を新生児デッドロックと呼ぶことにしました。

デッドロックはコンピュータの世界で使われる言葉です。 簡単にいってしまうと、お互いの都合が組み合わさって、誰もなにもできない状態のことを指します。

介護者は、補助人工心臓装置の緊急時になるブザー音が聞こえる範囲に一緒にいなければいけません。 つまり、介護者が一人しか居ない場合、どちらかが出かけたい場合は必ずついていかなければなりません。 そこに新生児が加わると、お出かけしようとすると家に誰も居なくなってしまうため、必然的に連れていかなければいけません。しかし、新生児はなるべく外には連れて行きたくありません。

そうして、私達は全く出かけられない期間が一週間程度ありました。 治療のために大阪に引っ越してきたため、頼れる親戚や友人が少ないのもあり、静かに過ごしました。

子どもが新生児でなくなることで、デッドロックとまではいかず、出かけられなくもない状態になりますが、出かけるのが難しいのは間違いないです。

あまりないと思いますが、新生児デッドロックが起きることが事前にわかる場合は、対策をとれるようにしておいたほうが良さそうです。

はじまりと概略

このブログには、補助人工心臓装着車として、子育てやリモートワークに関する記録を残そうと思う。 とても極端な例で、参考にならないものもあるかもしれません。しかし、極端な立場の人にとって便利なことは誰にとっても便利でもあることがあります。

たとえば、字幕。

本来は音が聞こえない人のためのものですが、まわり音がうるさかったりすれば、一時的に音が聞こえない人たちと変わらない状態になります。そんな状況でも、同じように字幕でテレビからも情報を得ることができます。

だから、補助人工心臓を植え込みをして、子育てをしつつ、リモートワークをする私の記録はもしかすると、補助人工心臓を植え込みをした人や、子育てをしてる人や、リモートワークをしている人たちに役立つのではないかと思ったのです。

これまでの流れ

  • 2009年7月 拡張型心筋症と診断される
  • 2010年8月 フリーランスとして独立。アプリケーション開発などを行う。
  • 2015年12月 結婚
  • 2016年1月 Webサービスを開発・運営するIT企業で正社員としてリモートワークをはじめる
  • 2017年3月 心不全で入院する
  • 2017年4月 補助人工心臓装置 Heartmate IIを植え込み手術する (国立循環器病研究センターにて)
  • 2017年7月 退院する
  • 2017年9月 第一子誕生

仕事への復帰

仕事への復帰をしました。 いつ子供が産まれるかわからないという状況ですが、ちょうどタイミングが合ってしまい復帰することになりました。 いきなりフルタイムというわけではなく、週1日からはじめて、しばらくは週2日で、5時間程度の時短となります。1年後に働き方は再検討していきたいと考えています。

作業は家で行うことができるので、通勤はありません。 移動に介護者をつけなければならない身なので、家で働けるのは大変助かります。 ちなみに、補助人工装着者で仕事に復帰している人たちは少なくないようです。 その場合は同僚に介護者の試験を受けてもらい、お迎えをメインの介護者が行い、会社では同僚にお願いすることになるようです。

仕事の調子ですが、多くの時間横になっていたため、最初のうちは長時間連続で座っているのが難しく休憩をはさみながらやっていました。最近では、ほとんど普通に作業することができています。 職業次第では、復帰することが絶望的なものもありますが、短い時間であれば前と同じ仕事ができるのは強みだと感じています。

Heartmate II装着

補助人工心臓装置 Heartemate IIを装着したときのことを思い出してみる。なぜ当時記録しなかったのか少し後悔している。

朝から手術で、ICUの夕方の面会時間には目が覚めていたのは覚えている。下剤を飲んだにも関わらずなかなか便がでず不安と緊張に悩まされていた。15分ぐらい前に出すことができてだいぶホッとした。

手術は全身麻酔なので当たり前かもしれないが、手術台に乗せられてからは一瞬だった。目が覚めたらたくさんの点滴がみえた。人工心肺の扱いがよくわからず苦しかった気がする。取り外された瞬間も「どうすればええねん」という感じでうまく呼吸が出来ず焦った思い出があります。

その他印象だったのは、ご飯が全然喉を通らなかったり、緑色の胃液を吐いたり、鼻水が酷すぎて眠れなかったり、うがいをするのに水を頼んでいたら飲み過ぎと怒られたりしました。すいません、うがいしてただけなので、飲んでおりません。ご飯は4日もすれば普通に食べれるようになりましたが、当時は「無理だろこんなの」と思ったものでした。

 

もし今から装着する人がいればご参考になればかと思います。